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 ←第48話 ふたつの風と越えるべき壁 →第50話 軍師 対 烈風 -INTO THE TORNADO-
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「雪風と風の旅人」
限界大戦

第49話 烈風と軍師の邂逅、その序曲

 ←第48話 ふたつの風と越えるべき壁 →第50話 軍師 対 烈風 -INTO THE TORNADO-
 ――歓待2日目の早朝、日の出前の時刻。

 あの小さなルイズに『伝説』の可能性がある!? その話を聞いたラ・ヴァリエール公爵と彼の妻は、まるで魂全てが凍り付いたが如き衝撃を受けた。

 昨夜遅くに、

「ルイズに関することで、どうしてもおふたかたへ内密の……しかも、早急にお伝えしなければならないことがあるため、大変恐縮ではありますが、明日の朝食前にお時間をいただけませんか?」

 血の気の失せた顔で、かつ、夫妻以外の誰にも見られないよう、細心の注意を払った上でそう申し入れてきたワルド子爵の様子にただならぬものを感じた夫妻は、会談に応じた。

 その席で、彼らはこう告げられたのだ。

「ルイズは<フライ>を使って飛んでいたのではありません」

 彼の言葉に、即座に反応したのはカリーヌ夫人だ。彼女自身も、ルイズの<フライ>に強い違和感を覚えていたのだ。あのときは、娘の笑顔を見て、そのまま流してしまったが……わざわざワルド子爵が伝えてきたからには、何か複雑な理由があるのだろう。それを夫に説明した後、彼女は続きを促した。

「では、娘はいったいどうやって空を飛んでいたのです? その口ぶりからすると<レビテーション>でもありませんね?」

「はい、それなのですが。実は<念力>を使っていたそうなのです。しかも、例の教師に『将来に備えるため、途中まで<フライ>のルーンを唱えることで、飛ぶ練習をしなさい』と指示されていました」

 ワルドはさらに説明を続けた。<念力>はコモン・マジック。つまり、口語で紡がれる。よって、メイジが自分のイメージの手助けをするために、自由にキーワードを指定することができる。そのようにルイズは教えられていたのだと。

「<念力>が口語……確かにそうだ。我々も、窓を開くときにそのイメージを強く描くため『我が<力>よ、窓の戒めを解き放て』などと唱え、カーテンを開いて窓を押し開けたりしている。だが、それをあえてルーンに当てはめるという発想はなかった! だが、いったいどうしてそんな真似をしているのだろう。普通に<フライ>を使えばよいはずなのに」

 公爵の疑問に、ワルドは深く頷いた。

「実は、僕も閣下と全く同じ疑問に辿り着き……気が付いてしまったのです。その前提として申し上げておきます。あの小さなルイズが、大きくなってもまだ失敗を繰り返していると知ったとき、僕はなんとかあの子の力になってやりたいと思いました。そのため、この数年間というもの、暇を見つけては王立図書館へと通い詰めていたのです」

 それを聞いたヴァリエール夫妻の顔が、わずかに綻んだ。知らなかった、この青年は……娘のために、わざわざそこまでしてくれていたのか、と。

「そこで詳しく調べてゆくうちに、大変なことに気が付いたのです。ルイズの<爆発>が、系統魔法では再現できないという事実に」

「それは、どういうことかね?」

「はい。ルイズの爆発には、とある特徴があったのです。そもそも<爆発>という現象を、系統魔法で実現する場合。まず<土>で油を錬金し、次にそれを<火>の熱で気化させ、さらにもうひとつ<火>を重ね、そこに引火させるという手順が必要となるのです。それを知ったとき、ルイズは最低でも火と土の『トライアングル』なのではないかと考えました」

 ラ・ヴァリエール公爵は唸った。言われてみればその通りだ。自分たちは失敗という事実に囚われ過ぎていて、娘が<爆発>という、とてつもなく技術と才能を必要とする魔法を、無意識で使っていたことに気付けなかった。

「では、ルイズは火系統なのですか? あなた、確か……!」

「うむ。わしの父の系統が<火>であった。戦にまみれる、罪深き系統だ」

 沈痛な表情を浮かべたラ・ヴァリエール公爵へ、ワルドは果たしてこれ以上告げるべきか――と、葛藤するような顔で、さらなる衝撃をもたらした。

「それが<火>ではないのです。ルイズの<爆発>には、特異性がありましたから」

「その特異性とは?」

「火が出ていないのです。もしも<火>と<土>を重ねることで発生した爆発ならば、ルイズが失敗したときに、その余波で火災が起きていてもおかしくなかったにも関わらず、せいぜい机が壊れるか、煤で汚れる程度でした。ルイズ自身も、火傷など一切負っていませんでした。こんなおかしな性質を持つ呪文は、系統魔法には存在しません」

 それを聞いたカリーヌ夫人が、はじけたように立ち上がった。

「確かにその通りですわ、あなた。あの子が失敗したときに、何かが燃えたなどということはありませんでした。それは、実際に教えていたわたくしがいちばんよく知っています」

 系統魔法では再現できない爆発。<先住>ではありえない。ならば、残るは……。

「ま、まさか……あの子の系統は、始祖の系統たる<虚無>だと……?」

 ラ・ヴァリエール公爵夫妻は、心の奥底が冷えていくように感じた。もしもその推測が当たっていたならば。最悪の場合、トリステインはふたつに割れてしまう。いや、それどころかロマリアの介入を受け、属国にされてしまうかもしれない。

 何故ならば、本来<虚無>は『始祖』ブリミルの直系、つまり王族にしか現れないとされている『伝説』の系統だからだ。公爵家は、王家の傍流。その主人たるラ・ヴァリエール公爵は、トリステインの王位継承権第3位を持っている。つまり<虚無>が出ても、何らおかしくない家系なのだ。

 ……そんな家から『始祖』の<虚無>が出たと知れたら。

『始祖の血を最も強く受け継ぐヴァリエール家こそが、トリステインの正統な王室だ』

 などと言い出す者たちがほぼ間違いなく現れる。困ったことに、現在トリステイン王国の王座は空位なのだ。それも正統な王位継承者が、頑ななまでに即位を拒んでいるがために。

 少なくとも、ラ・ヴァリエール公爵に王位簒奪の意思はない。彼は、トリステイン王家に絶対的な忠誠を誓っている。とはいえ、宗教を前面に押し出された場合――自分たちを擁立しようとする勢力に反抗すれば、それはそれで面倒なことになる。<虚無>とは、それほどまでに重いものなのだ。

 もっとも、現在トリステインの乗っ取りを企んでいると噂されるマザリーニ枢機卿の動き次第では、あえて立ち上がることも視野に入れなければならないが。その場合、現王家が公爵家という扱いとなる。ただ、そうなれば当然のことながら内乱が発生する危険性が高いため、慎重に動かなければならない。

 それよりも<虚無>を受け継ぐミス・ルイズこそが女王に相応しいなどとして、宮廷内で暗躍が始まる可能性のほうが高い。為政者として名を馳せている公爵よりも、何も知らない娘のほうが傀儡にし易いと判断する者は、大勢いるだろう。

 そして、それ以上の最悪は、ロマリア皇国連合――ブリミル教の総本山に介入を受けることだ。ルイズを『虚無の巫女』などと祭り上げた挙げ句『聖地奪還運動』を再開するかもしれない。娘に命の危険が及ぶだけでなく、絶対に戦争を回避できなくなるという意味では、こちらのほうが重大だ。しかも、その場合の『敵』はエルフである。果たしてどれほどの数の死者が出るのか、想像すらつかない。

 青ざめた顔で自分を見つめる夫妻に、ワルドは同じく血の気が失せた表情で告げた。

「僕も、当初はそう考え、身震いしました。ちょうどそのときです、エレオノール殿から『ルイズが風系統に目覚めたので、その祝いの宴に出席して欲しい』という招待状が届いたのは。それを見たとき、僕は心の底から安堵しました。良かった、彼女は『そう』ではなかった。それどころか、夫人や僕と同じ風系統だったのだと。しかし、あの<フライ>を見てしまったとき――まるで心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、僕を襲ったのです」

「念力による<フライ>を騙った、あれ……ですか」

「ええ。あれを見たとき、疑念が恐怖に変わりました。そこでルイズに尋ねたのです。それを教えてくれたのは、いったい誰だい? と。その結果、行き当たったのです。例の、東方の学者殿に」

 ワルドは、沈痛ともいうべき色を顔に浮かべ、語り続けた。彼からどうしても、真意を聞き出さねばならないと決意したのだ、そう夫妻に告げた。だが、時間がない。かといって、ガリア王国花壇騎士の略章を身につけた彼に杖を向けたりしたら、最悪国際問題になる。

 そこで、よくよく相手を観察したところ――彼は疲れていた自分を気遣って、非常に高価な<マジック・アイテム>を惜しげなく使い、騎士でありながら戦いを望まぬ、穏やかな『教師』であることを感じた。

 よって、かなり強引な手段ではあったが、公爵家への礼儀にもとる行為とは承知の上で、あえて彼の連れに『模擬戦』を申し込んだ。彼ならば、ほぼ間違いなくそれを阻止し、その際にうまく事を運べば、個人的な話し合いの機会が持てるのではないかと考えた上で。

「今思うと、もっと良い手段があったはずなのですが……あのときは恐怖と焦りのあまり、とんだ真似をしてしまいました。改めて、お詫び申し上げます」

 しきりに恐縮するワルドに、夫妻は事態の深刻さにも関わらず苦笑いをしてしまった。

「それであんな真似をしたのかね。君ともあろう者が、おかしいと思っていたのだよ」

「まったく、困った子ですこと」

「いやはや、情けない限りです。ですが幸い、うまく会談の機会を得ることができました。そこで、直接尋ねたのです。彼女の特異性について僕は既に気付き、調べもついている。その上で、貴君は彼女の真の系統を知っているのではないか? だから、あのような教え方をしているのではないか、と。すると、彼は僕の手を取ってこう言ったのです。やっと話せる人物に巡り会えた。これも『始祖』のお導きであろう……と」

 ――そしてワルドは語った。例の祝宴の席で語られた『炎の勇者』の話を。

「かの勇者殿は、その業績にも関わらず……どこから来たのか定かではないのだそうです。彼の国の伝承によれば、西の彼方――彼曰く、東方から見た西。つまり、このハルケギニアからやってきたのではと考えられていたのかもしれないとか」

 ワルド子爵は、必死に『学者』の言葉を思い出そうと、手を顎に当て言葉を紡ぐ。

「そして。その勇者が使う魔法は、確かに炎のように見えてはいたものの……ハルケギニアの系統魔法では説明できない、不可思議なものが数多く存在したのだとか。そのひとつが『炎の生じない爆発』だったのだと」

「つまり……ルイズの<爆発>と同じもの、だね?」

「はい。当初は失敗とされていたらしいのですが、後年、彼は意図的にその失敗魔法を攻撃に用いるようになったのだとか。系統魔法よりも遙かに簡単に、しかも短い詠唱で起こせる爆発は、彼にとって最大の武器だったのだと、伝説に残されているそうです」

「勇者の系統に関する伝承は、残っていなかったのかね?」

「はい、そこまでは。あえて伏せられていたのかもしれない、と、かの学者殿は仰っておられました。その上で、ルイズの失敗魔法を見た彼は、すぐさま彼女と勇者の関連性に思い当たり、同時にその危うさに気が付いたため、系統に関係なく使える<念力>によって、それらしい『事象』を発生させ、彼女に疑いがかけられることがないよう偽装し、誰にも……自分が仕える主人やガリア王家はもちろんのこと、ルイズ本人にすら明かさず、これまで沈黙を守ってくれていたのだそうです」

 それを聞いたラ・ヴァリエール公爵は、深く頷いた。

「確かに、ルイズ本人に系統の可能性について全く打ち明けなかったのは、正しい判断だ。わしでもそうする。あの子は潔癖すぎて、上手く嘘をつくことなどできないからな。それは貴族としての美点ではあるのだが、時と場合による」

 夫の言葉に、妻も同意を示す。

「その上で風系統に見せかけていただけではなく、本当に風系統だった場合についても備えてくれていたとは。想像以上に思慮深い方ですのね、かの学者殿は。おまけに、騎士として忠誠を誓うガリア王家にすら一切情報を開示していないとは。まだ確定に至らない段階にも関わらず、これほど娘と我が公爵家を気遣ってくれていたなんて」

 さらにワルドは言った。

「彼は、この歓待期間を待ち望んでいたのだそうです。そして閣下と夫人にのみお伝えしようと決意してはいたものの、どうやってその機会を作るかで悩んでいたとか。そんなとき、自分以外の誰にも辿り着けなかったルイズの可能性に気付き、その身を心から心配していると思しき僕が現れたため、学者殿は縋るような思いでメッセージを託してくれたのです」

「なるほど。それで、あのとき『炎の勇者』の話を持ち出したのだな、彼は」

「その通りです。もしもご家族のうち誰かが、その話で気付いてくれれば、そこから秘密裏に直接会談の機会を得られるのではないかと考えておられたそうで」

 カリーヌ夫人は静かに首を振った後、ワルドの目をまっすぐ見据え、言った。

「わたくしたちは、かの学者殿にも、あなたからも大きな恩を受けました。どうやってこれを返したらよいのでしょう? 本当に、よくぞ発見し……話してくれました」

「まったくだ。まだ可能性に過ぎないが、もしも我々が知らないところでルイズが『失われた系統』に目覚めてしまったとしたら! それを考えただけで、ぞっとする」

「ええ。僕のような疑念を持つ者や、かの学者殿のような優秀な研究者が、再び東の地からハルケギニアを訪れるというような『奇跡』が起きてしまった場合。しかも、それが学者殿のような分別を持たぬ者だとしたらどうなるか……結果は見えています」

「そうですね。復活の可能性がある以上、わたくしたちはそれに備えねばなりません」

 ――復活に備えなければならない。これは、ワルド子爵が待ち望んでいた言葉であった。彼は、ついに踏み出す決心をした。『本』との契約。そして己の信念のために征かねばならぬ『道』の第一歩目を。

「僕もそう考えます。そこで、念のため確認させていただきたいのですが。閣下は『レコン・キスタ』に関する情報を、どの程度お持ちですか?」

「例の『国境を越えた貴族連盟』とかいう連中か? 『王権打倒』『聖地奪還』などという世迷い言を抜かして、アルビオンの反乱勢力と手を組んだらしいな。最近、その影響で王軍――王党派がやや押されぎみになってきているようだ」

 そこまで言うと、ラ・ヴァリエール公爵は深いため息をついた。

「本来であれば、同盟国である我がトリステインから援軍を出すべきか否か、早急にアルビオンの王室へ確認すべき案件なのだが、宮廷に巣くう一部の愚か者共が反対しておる。その他にもいくつか気になることはあるのだが……それが、どうかしたかね?」

 ワルドは素直に感心した。さすがはラ・ヴァリエール公爵、周囲が見えておられる。しかも『神の本』が得ていない情報を、既にいくつか手に入れているらしい。

「申し訳ございません、それにつきましては、今少し情報をいただいてからお答えしたいのですが……閣下が他にお気になさっていることとは、いったい何でしょう?」

 ラ・ヴァリエール公爵は、立派な髭をしごきながら口を開いた。

「ふむ……君が無意味な質問をするとは思えんし、話しておこう。実はな、やつらと同盟を組んでからというもの、王党派から反乱軍・貴族派に寝返る者が増えておるらしいのだ。理由はわからん。ただ単純に全体の数が増えたから、などというような事情ではなさそうだ。探りを入れておきたいところだが、内部に潜らせることができるほど優秀な間諜が、わしの手元には……」

 そこまで言ったラ・ヴァリエール公爵は大きく目を見開いた。

「まさか、ワルド子爵! 君は……!」

「はい。その『レコン・キスタ』に潜り込むつもりです。実は……つい最近、連中から接触があったのです。僕を優秀な貴族と見込んで、仲間に加えたいと」

「馬鹿な! 何故、そのような危険な真似をする!? いや、そうか。君は!」

「はい。もしもアルビオンが落とされた場合、次の標的となるのは我が祖国トリステインでしょう。さらに、やつらが都合のよい御輿として『失われた系統』について調査していないとも限りません。この時期に、わざわざ向こうから接触してきたのは、ある意味『始祖』のお導きではないかと僕は考えたのです」

 カリーヌ夫人の瞳に、強い光が宿った。

「本気ですか?」

 その目をまっすぐと見返し、ワルドは答えた。

「はい。自分が未熟者であることは充分に承知しておりますが……それでも、やらねばなりません」

 その答えに、ラ・ヴァリエール公爵は苦悩に満ちた目を向けると、天を仰いだ。

「君以上に優秀な者は、このわしがトリステイン中を探し回ったとしても、見つけ出すことなどできんよ。だが、そんなことをしたら……!」

「わかっております。万が一を考えると、ヴァリエール公爵家にご迷惑をおかけするような真似はできません。よって……ルイズとの婚約を破棄させていただきたく存じます。ルイズには……数年前に、既に婚約は破棄されていたと伝えてください。何故か、あの子はそう信じ込んでいるように……僕には、感じられましたから。もしかすると、既に誰かが心の中に住んでいるのかもしれませんね。長い間、彼女を放っておいた自分が悪いのですが」

 そう言って自嘲するワルドに、カリーヌは思わず叫んだ。

「何故です? どうしてあなたが、そこまでする必要があるのですか!?」

 カリーヌの問いに、ワルドは寂しげな笑みを浮かべて答えた。

「父が亡くなったあと……僕はトリスタニアに出て、すぐに騎士見習いとなりました。その後、異例と言っても過言ではない速度で出世できました。閣下は何も仰いませんが、裏で何かと手助けをしてくださっていたのではないですか?」

 ラ・ヴァリエール公爵は何も言わない。だが、瞳がそう語っていた。

「ご恩返しをさせてください。このようなことを言うのはおこがましい限りですが、閣下と夫人を、僕は今まで本物の両親だと思っておりました。そして、小さなルイズやエレオノール殿、カトレアのことは……大切な姉妹だと。僕は、家族を守りたいのです」

 しばしの沈黙のあと――最初に口を開いたのは、ラ・ヴァリエール公爵であった。

「ワルド子爵領についての心配はいらん。活動資金について不足があれば、遠慮なく申し出たまえ。ただし、秘密裏にな。いや、君にこのようなことを言うまでもないか」

「あなた!」

「ご配慮痛み入ります。自領の民と、昔から僕に仕えてくれている、従僕たちのことだけが心配だったのです。これで、後顧の憂いなく、やつらの根城へ潜入できます」

 そのワルドの言葉に、しばし立ち尽くしていたラ・ヴァリエール公爵は……ゆっくりと彼に近寄ると、その身をしっかりと抱き締めた。

「ワルド子爵。いや、ジャン。わしも、お前を本当の息子だと思っている。できることならば、お前にヴァリエール公爵領を継がせたかった。いいや、継がせたいという思いは変わらない。だから、絶対無事に戻ってきてくれ。それが、わしから出す唯一の命令だ。これを違えることはまかりならん」

「わたくしもです。なればこそ――あそこまで厳しくあなたをしつけて参りました。朝食後に、最後の『稽古』をつけてあげます。ただし、いつもよりずっと軽めに、ですが」

 ワルドは、内心で呻いた。しまった、カリーヌ夫人の件も彼に話しておくべきだった! まだまだ僕は詰めが甘い。もっと研鑽を積まなければいけないな。でも、全力でこられるよりはまだましだ。前向きに考えよう……。


○●○●○●○●

 ――ヴァリエール公爵家の一画。従者たる太公望と才人に用意された客室にて。

「ククク……見事に演じきったようだな、ワルド子爵は。このわしが見込んだだけのことはある。しかし、稽古とはなんのことだ? 彼らの声音から判断するに、策を見破られたわけではなさそうだし、やはり作法がらみであろうか? 昨日は、えらくやらかしてしまったからのう」

 守袋に入れ、ワルドに手渡した『超軽量・小型集音宝貝』によって集められた内容を通信機を介して受け取っていた太公望は、策がうまくはまったことに安堵していた。

 一部気になる発言はあったものの、それについては改めて調査すればいい。本来ならば、このままアレを持たせておきたいところだが、誰かに見つかると極めて厄介なことになるので、予定通り朝食の前に回収しよう。太公望はそう独りごちた。

 ……そう。ここまでの彼らの会話は、全て太公望が書いた脚本によるものである。ルイズの使い魔についての情報を出さずに、かつ、ワルドの立場を一切貶めず『レコン・キスタ』への潜入を実現させるために書かれた筋書き。さらに、ヴァリエール公爵家に迫る危機『虚無の目覚める可能性』を、より自然に伝えるための策。

 また、ルイズとの婚約破棄を『ルイズなどいらない』といった拒絶の意味ではなく『家族を守りたいから』という献身的な行動としてヴァリエール公爵夫妻に納得させ、彼らの強い好意と信頼をワルド子爵に向けさせるためのもの。これが『第2の交渉』を受け入れた彼への『対価』にして、太公望が切った大逆転のカードだ。

 そしてこれは、トリステインの内乱を避けるため、ラ・ヴァリエール公爵の『戦を好まない』性質を太公望がわずかな期間で見抜いた上で、ルイズの系統について彼女の両親にのみ警告を行いつつ、ワルドを金銭及び心理的な意味で、裏から支援させるという大技を決めた瞬間でもあった。

 もちろん、太公望が『炎の勇者』云々などという言葉が飛び出してくる、三文芝居じみた策を練ったのには然るべき理由がある。この『脚本』を与える前に、彼はワルドへこう助言していた。

「ワルド子爵。おぬしには、政治家として必須ともいうべき才能がある。それは『演技力』だ。宮廷に勤めているだけあって、各種所作が洗練されておるし、何よりも嫌味がない。これは、ある意味魔法よりもずっと希有な能力だぞ? 時間があるときに、軍事だけではなく政治、特に外交についてより詳しく学んでおくがよい。それは将来、必ずおぬしの役に立つであろう」

 太公望からこう告げられたとき、ワルドは感激していた。何故なら国を構成する『駒』のひとつとしてだけではなく、盤面全てを動かす者を目指せ。お前にはそれができるだけの才能がある。そう言われたに等しいからだ。それも『神の頭脳』と思しき存在から。

「もしも、怪我などで軍人でいられなくなった場合――政治家として身を立て『聖地』を目指せばよい。そのためにも、ヴァリエール公爵家との繋がりを強く残しておく必要があるのだ。なればこそ、あえて高い『演技力』が必要となるこの策を、既にそれができるだけの実力を持つおぬしに授ける」

 この太公望からの『助言』にして『策』は、ワルドにとって非常に大きかった。おもに、彼の焦りやすい精神を安定させるという意味あいで。実際、これはとてつもない保険であろう。何故ならば『聖地へ至る道』という先が見え辛い状況の中で、なんと4つもの『最善の道』を選ぶことができる可能性を、彼に与えたことになるのだから。

 さらに言えば、常に陰謀渦巻くトリステインの宮廷内で叩かれ、鍛え続けられてきたワルド子爵の『演技力』は、事実相当に高いものであった。

 そして、ワルドは太公望の期待に見事応え、国内でも有数の『目利き』であるラ・ヴァリエール公爵夫妻を相手に、彼らの本当の目的を一切悟らせないという、とてつもない偉業を達成した。いくら太公望の脚本があったとはいえ、演技の下手な大根役者では、こうはいかなかったろう。

 ――それから間もなくして。部屋を後にしたワルド子爵の後ろ姿を見送ったラ・ヴァリエール公爵夫妻は、共に深いため息をついた。

「ジャン、いやワルド子爵ならば、必ずやこの困難な任務を達成してくれるだろう。しかし問題は、これを伝えてくれた学者殿についてだ。主人や、ルイズに対する気遣いなどを見ても、彼が分別を持った人物であろうことは間違いないとは思うのだが……全てを信用するには、まだ時間が足りないな」

「わたくしもそう思います。用心をするに越したことはありません。なにしろ家族のみならず――トリステイン王国全体に関わる重要事なのですから」

 そう言って、自分を見返してきた妻の目の中に、ラ・ヴァリエール公爵はなにやら不穏なものを感じ取った。そこで、彼は先手を取るべく動いた。

「カリーヌ。わしは彼と『話し合い』の機会を持とうと思うのだが、どう思うかね?」

「ええ、そうですわねあなた。彼を見極めるためにも、それは必要なことでしょう。その上で『杖』をもって解決するのが、我ら古い貴族というもの」

「い、いや、そうではなくてだな……!」

 こうして。ヴァリエール公爵家の書斎にて『トリステインの古き伝説』が立ち上った。『力強き風』『烈風の騎士姫』『鋼鉄の規律』。彼女がいったんこうと決意したら、もう誰にも止められない。家族どころか姫殿下にも、王妃殿下ですら不可能だ。

「た、頼むから、国際問題にまでは発展させないでくれよ……」

 妻に見られないよう、そっとマントに縫いつけてある内ポケットから、ごく小さな薬壜を取り出したラ・ヴァリエール公爵は、壜の中に入っていた液体をぐいと口内へ流し込んだ。末娘のみならず、妻のことでも深い心労を重ねてしまった彼の胃には、いい加減安らぎが必要であった――。


○●○●○●○●

 ――朝食の時間になった。

 だが、才人はどうにも起きる気になれなかった。そこで、同室の太公望へ体調が悪いから……と、仮病を使って朝食会への出席を断った。

 そして、やわらかいベッドの上で、肌触りの心地よい掛け布団を肩のあたりまで掛け、ぼんやりと天井を見つめていた。彼は、唐突に東京の自宅二階にある自分の部屋のそれを思い出そうとしてみた。だが……どうにも脳裏に浮かび上がってきてくれない。才人は、何だかせつない気持ちでいっぱいになった。

 それから30分程して。扉を軽くノックする音がしたと思うと、部屋に誰かが入ってきた。太公望が戻ってきたにしてしては早すぎる。だが、なんとなく他人と顔を合わせるのが嫌だった才人は、布団の奥に潜り込んだ。

 何やら、カチャカチャと音がする。陶器と、金属が微かに触れ合うような音。どうやら、誰かが気を利かせて才人の分の朝食を部屋へ運んでもらうよう、頼んでくれたらしい。こういうことをする人物が誰であるのか、彼には心当たりがあった。

 その気遣いまでも、今の才人には何だか寂しく思えてしまい――絶対食べてなんかやるもんか! などと意地を張り、ふて腐れたように寝返りを打った。

 しかし、その直後。空気中を漂い鼻孔をくすぐった香りが、彼の胃腸を刺激した。ぷんと漂う、ほんの少し焦げた腸詰めと、いい塩梅に溶けたバター。そして焼きたてのパンの香りが、彼の脳を、鼻孔を通じて直撃した。

 からっぽの胃袋が、唾液の溢れた口が、早く寄越せと騒ぎ始める。ちょっとした意地と本能的欲求が葛藤を続けた結果――5分程度で、重かった才人の身体を起き上がらせることに成功した。

「なんか悔しいけど、うめェ……」

 朝食は一日の活力。全てを腹におさめた後に飲んだお茶が、身体中を巡っていた淀んだ水を押し流してくれたような気がして……酷く落ち込んでいた才人の気持ちが、ほんの少しだけ回復した。

「外で、身体動かしてくるかな」

 少しは気晴らしになるかもしれない。そう考えた才人は、いつも魔法学院で着ている従者用の平服に着替え、デルフリンガーを背負うと――そっと部屋を後にした。

 実のところ。ほんの少しだけ彼の元気を回復させた、この朝食を用意させたのは、太公望ではなくルイズだったのだが……このときの才人は、まだそれを知らなかった。


○●○●○●○●

 ――そして、朝食とは思えぬほど豪勢な食事を終えてから約1時間後。

「東方から来たという貴君に、ハルケギニアの魔法に関する見解が聞いてみたい」

 と、いうラ・ヴァリエール公爵からの申し入れを快く受けた太公望は、傍聴を希望する者――突如元気をなくしてしまい、欠席を申し出たルイズと、そもそも朝食会に出席していなかった才人。そしてカリーヌ夫人と連れ立って移動したワルド子爵を除く者たちを前に、あくまで個人的な見解で申し訳ございませんが、と、断りを入れた上で、それを述べていた。

 ちなみに、この父の発言に露骨なまでに大きな喜びの反応を示したのは、当然のことながらエレオノールだった。彼女は、わざわざ大量の紙と羽根ペンを用意して『講義』に参加している。同じく、コルベールもほぼ同様の装備で、この得難い機会に備えていた。

「まず、結論から述べさせていただきますと。『始祖』ブリミルは、為るべくして『神』と崇められる存在となった。これに尽きますな」

 いきなり、自分の研究対象たる『始祖』がらみの発言。魔法を語る以上、ある意味当然の内容ではあるのだが、この言葉にエレオノールの眼鏡がキラリと光る。

「それはいったい、どういった意味で、ですの?」

「はい。こちらへ来てから、改めてブリミル教の教義や、過去の歴史書などを調べたところ『西方』における系統魔法は『始祖』ブリミルの手によって、現在のような形でメイジたちの間に広められたとされておりました」

 ニッ、っと笑って片手指を1本立てながら、さらに続けた。

「つまり、裏返せば『始祖降臨』以前は、全ての魔法が魔法語ではなく、コモン・マジックのように、全て口語によって行使されていた。いや、そうする必要があったという可能性が考えられるからです」

 その発言に、場がどよめいた。

「口語の必要があった!?」

「それは<先住魔法>ということですか?」

 コルベールたち研究者の質問に、太公望は首を横に振る。

「いいえ。そもそも<先住魔法>とは、場に存在する<精霊>と契約することで発動するものです。そうではなく、世界に溢れる粒状の小さな<力>を、メイジが持つ<力>と<力在る言葉>『魔法語』を併せて用いることによって操作する。これが『西方』において系統魔法とされるものです」

「世界に溢れる<小さな力>とは?」

 エレオノールの質問に、しごく真面目な表情で答える太公望。

「我が国において、研究が進められている<星の意志>と呼ばれるもののことです。これらは、肉眼では到底見えないほどにごくごく小さなもので、この世界のあらゆる場所に溢れております。特に『霊穴(パワースポット)』と呼ばれる場所に強く宿っており、具体例として『ラグドリアン湖』『トリステイン魔法学院』などが挙げられます」

 水の精霊が住まうラグドリアン湖はともかく、魔法学院にそのような<力>がある!? 当然、それを聞いたラ・ヴァリエール公爵家のひとびとは驚いた。だが『お客さま』達には一切動揺が見られない。何故ならば、彼らは既に魔法学院がそれを前提とした設計によって建てられている事実を知らされていたからだ。

「これは、あくまで個人的な見解なのですが……」

 と、前置きをして、太公望は持論を展開し始めた。

「ルーンが『始祖』ブリミルによって発明、あるいは持ち込まれる以前は、たとえば簡単な<風>を起こすのにも<念力>を使い、しかも非常に難解な、自然の『法則』に関する知識――そう『自然科学』の理論を学んだ者でなければ、まともに吹かせることなどできない状態だったのではないかと、わたくしは愚考致します」

 <念力>で風を起こす。この発言を聞いたラ・ヴァリエール公爵は、太公望と視線を合わせて頷いた。それに瞳を動かすだけで応えてきた相手を見て、公爵は理解した。自分の発した『魔法の話が知りたい』というメッセージを、彼は正しく受け取ってくれたのだと。

「それが劇的に変わったのが6000年前。そう、ルーンの出現によって、です。『始祖』ブリミルは、この<力在る文字>を組み合わせることで<力宿る言葉>とし、メイジとしての才能を持つ者ならば、簡単に魔法を行使できることを発見、あるいは知らせたのです」

 太公望は、例の如く『打神鞭』を手に持ち、教壇に立つ教授のように説明を続ける。

「しかも! それを自分の家族……つまり現王家だけで独占せず、メイジたちの間に等しく広めた。これほど度量が広く、かつ慈愛に満ちた存在が『神』として崇められるようになったのは、至極当然の成り行きなのではないでしょうか」

 再びどよめく講義会場。それはそうだろう、このような角度から見た系統魔法や『始祖』に関する理論は、これまでハルケギニアには存在していなかったのだから。そして、彼らは改めて『始祖』の偉大さと慈愛に感謝した。

「ただ……あえて欠点を述べるとするならば。汎用性を持たせすぎたが故に<力>が足りない。あるいは<力>がありすぎる者が系統魔法を扱おうとすると、何も起きない。または、<力在る文字>の組み合わせによる枠内に収まりきれず、爆発を起こしてしまうのです」

 太公望はそう言って、頭を掻きながら言葉を紡ぐ。

「本来であれば、魔法というものは<力>のコントロールを前もって身につけてから扱うべきなのですが、何故か『西方』からは、この技術が失われてしまっているようですな。その理由まではわかりませぬが」

「つまり、あなたの国にはその技術が残っているということですわね?」

「その通りです、エレオノール殿。それが故に<爆発>させてしまうほどに強い<力>を持つ妹君にコントロールの方法をお伝えし、まずは系統が一切関わらない<念力>を用いることによって、基礎から徹底的に学び直していただきました。なお、これについては、そちらにおられるミスタ・コルベールの尽力が大きいのです」

 必死に講義内容をメモしていたコルベールは、突然の指名に驚いた。だが、すぐに立ち直ると、かつて自分が生徒たちに行った講義――つまりコモン・マジックに関する歴史的発見に関する理論を発表した。

 なお、ここではコモン・マジックを調べるに至った経緯は含まれなかった。その話を出してしまうと、ルイズが伝説の使い魔を<召喚>していることに触れてしまうからだ。

「まさか<ライト>が火の系統魔法だったなどとは!」

 と、驚愕の声をラ・ヴァリエール公爵が発すれば。

「<ディテクト・マジック>については、とてもよくわかりますわ。流れを解析するための魔法が水に属するというのは、わたしにも理解できる説明です」

 その娘、カトレアが研究に対する理解を示すと。

「おそらくじゃが、われわれメイジの『感覚的』な慣れによって、特に簡単な初歩の初歩の初歩である一部の系統魔法が、長い年月を経てコモンに組み込まれたのじゃろうて」

 このように、コルベールの上司であるオスマン氏がそれを後押しした。

「ミスタ・コルベール」

「はい、何でしょう?」

 ラ・ヴァリエール公爵の呼びかけに、視線を向けたコルベールは仰天した。何故ならば、公爵が立ち上がって自分の元へ近寄り、その両手をがっしりと掴んだからだ。

「貴方の発見は、娘を救ったのみならず、歴史的な意味でも大きな成果だ。もしよろしければ、それを論文に纏めてわしに預けてはもらえないだろうか? わしが直接、王室に対して献上しよう」

 ラ・ヴァリエール公爵の言葉に、コルベールは目を大きく見開いた。

「心配されることはない、もちろん貴君の名前でだ。わしの名誉を賭けて誓おう。これは、我が国にとって大変に価値ある発見だ。何故なら、子供達に教える最初の魔法として、最も適切なものがなんであるのかを、完全に確定できたということなのだから。これはまさしく大手柄。王家から直接、勲章どころか領地を下賜されてもおかしくない程の働きだ」

 それに賛意を示したのはエレオノールだ。

「わたくしもそう思いますわ。これは国内の教育レベルを上げるという意味において、大きな一歩となる発見ですもの。ただ……もしもアカデミーを通した場合……その、お恥ずかしい話ですが、誰かに研究成果を横取りされる危険があります。お父さまから直接でしたら、間違いなく王家に宛てて届けられますから」

「そ、そんな畏れ多い! そもそも、私は研究一筋で、領地を切り盛りするような器量はございませんし、だいたいですな……」

 心底慌てたといった口調でそう言ったコルベールは、視線を太公望に向けた。と、その相手は彼を制すると、こう言って『発明家』の後押しをした。

「でしたら、年金が出る勲章をいただいた上で、それを今後の研究費に充てるというのは如何でしょうか? これならば、領地運営の手間もなく、しかも毎年決まった額のお金が受け取れるので、予算が組みやすいとわたくしは思うのですが」

 その案に、ラ・ヴァリエール公爵が同意の頷きを返した。

「それは良い案だ。万が一、勲章が出ない。あるいは功績に相応しくないものが与えられるようなことがあった場合、ラ・ヴァリエール公爵家の当主として、ミスタ・コルベールの歴史的大発見に相応しい額をお支払いしよう。貴方は娘を助けてくれた、大恩人たる存在だ。親として、そしてトリステイン貴族として相応の礼をさせて頂く」

 ラ・ヴァリエール公爵は、心の底からコルベールに感謝していた。もしも彼が<念力>に関する発見をしてくれていなかったら……最悪の場合、ルイズは未だ魔法が使えず、その才能にも関わらず潰れていたかもしれない。いや、それ以上に『東の学者』が彼女の真の系統に思い当たっても、正体を偽装してくれる余裕が生まれなかった可能性があったのだ。

 ……と、そのやりとりを側で聞いていたオスマン氏が、ぽんと手を叩いた。

「そういえば! 勲章で思い出したのじゃが……わしがルイズ君の大手柄について王家に申請した『シュヴァリエ』の勲章は、いまだ受勲に至っておりませんな」

「オールド・オスマン。わしのところには、そのような話は来ておりませんが。だいたい、その『大手柄』の件についても初耳なのですが?」

 ラ・ヴァリエール公爵の発言に、オスマン氏は、

「そんな馬鹿な、あれほどの話がお耳に入っておりませなんだか!」

 などと驚きつつも、例の『土くれ』捕縛に関する件を話した。もちろん、一部魔法学院や自分に関して都合の悪い点はぼかしつつ。

 話を聞いたヴァリエール公爵家の一同は、嘆息した。勲章云々に関することではない。末の娘が行った無謀な行いに対して、肝が冷えたからだ。

「まったくあの娘ときたら……自分から、しかも、まだ魔法がろくに使えなかった時期に、そのような危険に飛び込むとは!」

「正直、あの子らしいことですけれど……さすがに驚きましたわ」

「おちびったら、もう! 確かに、お母さまはよく『貴族たるもの、背中を見せてはなりませぬ』などとおっしゃいますけど、それは自分から危機へ飛び込めという意味などではないわ!」

 この言葉を聞いた太公望は、ピクリと眉を動かした――それは何故か。自分の身に関することで、とてつもなく嫌な予感が襲いかかってきたからだ。

 背中を見せてはいけない。つまり戦いから逃げるなという意味だ。そのような教えを息子にならばともかく娘に対して行う母親……そして、今朝耳にした『稽古』という言葉。そういえば、あのルイズを10倍キツめにして小瓶の中に無理矢理詰め込んだような気配を放つ母親からは、確かに隙が伺えなかった。もしや――!

 ――彼の予感は、それからわずか数時間後に当たることとなる。

「まさかとは思うが、どこかで申請書類が握りつぶされているのか!? それは追々調査するとして……やはり、ミスタ・コルベールの論文は、わしが直接、手ずから王室へ届けたほうがよさそうだな」

「ええ。ルイズの『シュヴァリエ』だけではなく、外国のかたにも関わらず、トリステインのために働いてくだすったミス・タバサとミス・ツェルプストーに対しても一切連絡がないだなんて! トリステイン貴族の一員として、本当にお恥ずかしい限りですわ」

 顔を赤くして――それぞれ、怒りと羞恥という別方向のものだが――声を上げたラ・ヴァリエール公爵とエレオノール女史。そして、彼らの間でおろおろするコルベール。そんな彼らの元に、まもなく昼餐会の時間であることを執事が伝えに来たのは、それから約30分ほど後のことであった。


○●○●○●○●

 ――ひとり外を歩いていた才人は、道に迷っていた。

 このお屋敷、とにかく大きいのである。初めてそこを訪れた者が、うっかり庭へ出たりすると、まるで迷宮のような植え込みにやられてしまう。

 ずっと同じ部屋で寝ていたり、最近では同じテーブルについて食事をしていた才人であったが、こうやってルイズの実家を見てしまうと、それらがまるで幻想のように思える。

 大金持ち。大貴族のお嬢さま。いや、本物のお姫さま。自分には、このハルケギニアの身分制度など一切関係ないはず。今まで、彼はそう思って過ごしてきた。だが……昨晩のような豪華な歓待や、この屋敷、いやお城を見てしまっては、ルイズと自分との間に歴然とした『壁』があるのは仕方がないことなのだと、何だか納得してしまった。

 厳然たる『身分の差』というものを、初めて思い知らされたようで――才人は再び落ち込みそうになった。だが偶然彼の視線が捉えた者の姿が、それを救った。

 池に浮かんだ小さな小舟。その中で、桃色の髪をした少女が蹲っていた。

 ルイズだ。才人は、いつものように彼女へ声をかけようとして、思いとどまった。どうせ俺とあいつじゃ、身分ってやつが違いすぎるんだ。そう感じてしまった。だが……遠目からもわかるほどに沈み込んだ彼女の姿が、彼の背中を押してくれた。

 ――ルイズは、池の中に浮かぶ小舟の上から、静かに水面を見つめていた。

 朝食前に告げられた、ワルド子爵との『婚約破棄』の知らせ。とっくの昔に覚悟はできていたはず。でも、やっぱり彼は、ルイズにとっての憧れだった。

 父親から、

「お前には本当に可哀相だとは思ったが、己の判断によってワルドの将来を考え、数年前に彼との婚約を破棄していたのだよ」

 そう教えられて、ルイズは落ち込んでいた。

 もしもの可能性。もしも、ミスタ・タイコーボーがもっと早くハルケギニアを訪れてくれていれば。ううん、もしも自分が入学前に<サモン・サーヴァント>を試してさえいれば。もしかしたら、わたしはワルドさまの隣に立つことができていたのかもしれない。

 でも……それなら、なんで涙が出てこないのだろう? それに、どうしてあんな知らせを受けた後なのに、わたしの心は落ち着いているのだろう? ルイズは、不思議でならなかった。落ち込みはするけれど、悲しくない。だけど、その理由がわからない……。

 そこへ、中庭の土を踏みしめる音が聞こえてきた。しかし、ルイズは振り返らなかった。すぐに足音は、池の中央にある小島へ続く、木の橋を渡るそれに変わった。それでも、ルイズは動かなかった。

「泣いてるのか? ルイズ」

 声の主の顔は、強い日差しによる逆光のせいで、一瞬わからなかった。だが、そこにあったのは――彼女のパートナーである、才人のものであった。

「泣いてなんかいないわ。あんたこそ、もう身体の具合はいいの?」

 何かに沈み込みつつも……自分を気遣う言葉をかけてくれたルイズの態度に、才人の胸は温かいもので満たされた。だから、彼はそれに応える勇気が持てた。

「ん、まだあんまり。それより、なんだよお前! 元気ねェな」

 普段のルイズであったなら。「本当に気が利かないわね、あんたって!」などと、八つ当たりしていたかもしれない。だが……このときの彼女は、違っていた。素直に、その理由を答えた。それがどうしてなのか、ルイズ本人にもわからなかった。

「わたしの婚約ね……とっくの昔に破棄されてたらしいの。ま、覚悟はしてたんだけどね。わたし、おちこぼれだったから」

 そう言って寂しげに笑うルイズの姿は、まるで幻のように儚げであった。

 今、俺が手を差し伸べなければ……このままルイズは消えてしまう。そんな予感に囚われた才人は、彼女の前に、すっと手を伸ばした。

「ほら! 手、貸してやるよ。行こうぜ。そろそろ昼飯だろ?」

「でも……」

 あの夢と同じだ。ルイズは躊躇った。大きく、暖かく、そして頼りがいのありそうな手が――夢で見たのと同じように、自分のすぐ目の前に差し出されている。でも、本当にわたしは、この手を取ってもいいのだろうか?

「なんであんたがここにいるのよ?」

 ルイズの口から思わず飛び出した言葉は、本心からのものであった。どうして今、才人がここにいるのかわからなかった。

「道がわからなくなっちまったんだよ! そしたら、お前のこと見つけてさ。なあ、一緒に来てくれよ。じゃないと、俺……また迷っちまう」

 俺ってやつぁ……こんなことしか言えないなんて、情けねえ! ふくれっ面とは裏腹に、そんなことを考えていた才人であったが、ふいに己の手に伝わってきた暖かさが、それをかき消してしまった。

「勝手に出歩くからでしょ! しょうがないわね……わたしが案内してあげるわ」

 こうしてふたりは手を取り合い――屋敷の中へと戻っていった。


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