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 ←第71話 女史、輪の内に思いを馳せるの事 →第73話 険しき旅路と、その先に在る光
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「雪風と風の旅人」
異界に立てられし道標

第72話 灰を被るは激流、泥埋もれしは鳥の骨

 ←第71話 女史、輪の内に思いを馳せるの事 →第73話 険しき旅路と、その先に在る光
 ――夏の終わりも間近。ニイドの月、ティワズの週、ユルの曜日。

 例年ならば、王都トリスタニア近辺の街道は、避暑地でのバカンスを終えて戻ってきた貴族や一部の裕福な平民たちの往来が目立ち始める時期だ。しかし、今年はそんな季節の風物詩の代わりに、全く別のものが随所に見られた。

 晩夏の日差しに輝き、はためいていたのは、紫色の布地に金糸で薔薇と豹の紋章が縫い込まれた旗印。その旗の下に、夏装備の兵士たちが配備されている。

「あれは、グラモン家の家紋じゃないか。ギムリの言った通りだ」

 魔法学院へと向かう乗合馬車の中窓から外を眺めていたレイナールは、普段は冷静な彼にしては珍しく、驚きもひとしおといった顔で、側に腰掛けていた少年に声をかけた。

「だろう? グラモン元帥が首都防衛責任者に任命されたってのは、父上が宮廷のサロンで聞きつけてきた話なんだから、絶対間違いないって」

 ギムリと呼ばれた少年――レイナールと同じ魔法学院行きの駅馬車に乗り合わせていた彼のクラスメートは、友人からの問いに、訳知り顔で胸を張った。

 級友の発言を受け、改めて外を見たレイナールは、街道要所に王軍だけではなく、諸侯軍――それも、王国元帥であるグラモン伯爵家の兵士たちが多く配備されている事実に、心の底から驚いていた。戦時下でない今、ここまで諸侯軍が展開するなど、数千年の長きに渡るトリステインの歴史を振り返ってみても、ありえない事態だ。

 レイナールは、途中の駅で購入した新聞を広げた。トリステインには、王政府が各種の布告を行う際に利用する広報機関の他に、トリスタニア近郊に広がっている様々な噂話を集めて記事にまとめ、売り出している小規模の新聞社がいくつも存在する。いま彼が手にしているのも、そんな情報紙のうちのひとつだ。

 ――今からちょうど1ヶ月ほど前。アルビオン王国の空軍都市『レキシントン』を落とした貴族連盟『レコン・キスタ』は、怒濤の勢いで進軍を続けていた。戦略空域を抑えられ、さらに王軍最大のフネにして旗艦でもあった『ロイヤル・ソヴリン』を奪われた王党派は、国内各地で敗走を繰り返している。現在紙面を賑わしているのは、専らアルビオンの戦況に関する情報だ。

「アルビオン王党派拠点・王都ロンディニウム、貴族派連盟によって完全包囲さる――か。想像以上にアルビオン王家は追い込まれているようだね」

「それ、いつの情報だ?」

「ええと……3日前だね。さすがに、王都がそう簡単に陥ちるとは思えないけど……」

 眉根を寄せてレイナールが呟くと、ギムリも生真面目な顔でそれに答えた。

「だな。レキシントンの例があるから、どう転ぶかわからない」

 アルビオンの空軍施設都市・レキシントンが、包囲されてからわずか半日で陥落したという衝撃的な事件は、既にトリステインのみならず、世界各地へ広まっていた。

「このままアルビオン王家が倒れた場合、次に狙われるのは、ほぼ間違いなく我らがトリステイン王国だろうから、王政府が早急に防衛の準備を開始するのは当然だとしても……こんなに早い時期からグラモン元帥が出てくるなんて、正直驚いたな」

「それだけどさ、あの『鳥の骨』がグラモン閣下を推薦したらしいぜ」

「えっ、本当かい!? ギムリ」

「うん。なんでもレキシントンが陥落した日に、緊急で開かれた議会に提出したんだとさ。おまけに、全会一致で可決したらしい」

「意外だな。いや、決定内容がどうこういう話じゃなくてさ、その……」

「きみが言いたいことはわかるよ。いつもの王政府なら、誰を防衛責任者にするかで大モメするか、ぎりぎりまで引っぱった挙げ句ド・ポワチエ中将あたりを出して様子見する程度だっただろうに、今回はいやに動きが早かったからな」

「こ、声が大きいよ!」

 友の不敬な発言に驚いたレイナールは、慌てて彼を制すると、用心深く周囲を見回した。だが、幸いなことに、彼らの話に聞き耳を立てている者は、車内にはいなかった――単に聞いていないふりをしているだけなのかもしれないが。

 それからしばらくの間、ふたりは無言のまま馬車に揺られながら、車窓の外をゆっくりと流れゆく景色を眺めていたが……ふいにレイナールが、ぽつりと呟いた。

「始祖の御代から続いた『王権』の一柱が、ついに倒れる……か」

「グラモン元帥が防衛に立ったくらいだから、それについてはほぼ確実だと思う」

「もうすぐ、戦争になるんだろうね」

「……だろうな」


○●○●○●○●

「そうとも限らない。逆に、完全に防衛を固めてしまったトリステインに攻め込むのを躊躇するかもしれぬな。うまくすれば、戦自体が起きない可能性もある」

 ――翌日。食堂にあるテラス席で、見てきたままを伝えたレイナールに対して太公望が行った返答がこれであった。ちなみに、現時点で魔法学院に帰還を果たしている『水精霊団』のメンバーは太公望、タバサ、キュルケ、レイナール、モンモランシーの5名だけだ。

 モンモランシー曰く、ギーシュはひとつ上の兄と共に、領内に現れた妖魔の討伐に出かけた関係上、学院に戻るのは新学期の直前になるという手紙を寄越してきたらしい。

 ルイズと才人については、あと数日で戻ってくるとのことだ。これは、先日王立図書館への立ち入りに関する口利きをしてくれた、エレオノールからもたらされた情報である。

 何かを深く考え込むような表情で、レイナールは言った。

「それは『レコン・キスタ』と『アルビオン貴族派』本来の目的がそれぞれ異なるから、ということでいいのかな?」

「ふむ。その答えが出せるということは、なぜ此度の戦が起きたのか、おぬしは知っておるのだな?」

 太公望の問いかけに、レイナールは頷いた。

「確か、モード大公――アルビオンの王弟殿下が粛正されたことが、大公殿下に仕えていた貴族たちが、王家に反乱を起こすきっかけになったんだよね。最初は小さな内乱だったんだけど、レコン・キスタが戦列に加わったことで、一気に流れが変わったんだ」

「ああ、なるほどね。大公の仇を討ちたかった貴族派と、王家を倒して『聖地』奪還を目指す『レコン・キスタ』は当面の目的が一致していたから、手を組んだ。でも……」

 キュルケの言葉に、タバサが追従する。

「大公の敵討ちを果たした貴族派が、その時点で離脱する可能性がある」

 ふう……と、憂い顔でため息をひとつついた後、太公望は口を開いた。

「嫌な言い方だが、戦によって勝ち得た土地を切り分けるという、大切な仕事も残っておるしのう。特に、勝ち馬に乗って後から貴族派に鞍替えした者どもは、本当に取れるかどうかわからぬ『聖地』や隣国などよりも、目先の利益に飛びつくであろうしな」

 ハーブティ入りのカップを口に運んだ後、モンモランシーは呟いた。

「わざわざトリステインに攻め込むよりも先に、新しい領地の確保に走ろうとするひとたちが大勢出るってことね」

「そういうことだ。ところがレコン・キスタは『頼りない王家を打破して、自分たちが旗頭となり聖地を目指す』という大義を掲げる以上、急いで体制を立て直して、残る二王家へ攻め込まねばならぬ。そうでなければ、内部勢力や民の支持を得られないからな」

「でも、既に目的を達成した貴族派と、日和見に徹している者たちを動かすのは大変」

「相手が完全に守りを固めちゃったトリステインと、ハルケギニアで一番大きな国家ガリアだもの、説得するのも骨よね。かといって『聖地奪還戦争』を取りやめて領地の奪い合いをするなんてことは、彼らの『正義』に反することだから、無理でしょうしね」

 『聖地奪還戦争』と『正義』というフレーズを妙に強調したキュルケだったが、この場に集っていた全員が、彼女と全く同じ思いを共有していた。

「最終目標が完全に異なる者たちが多数集まっておる。しかも、彼らの『連盟』を構成する大きな勢力のうちふたつの目的は、アルビオンが陥ちた時点で達成されてしまうのだ。このような状況下では、ほぼ間違いなく揉め事が起きるであろうな」

「そうなれば、貴族連盟は空中分解。足並みを揃えてトリステインに攻め込むことなんて、まずできなくなる」

 太公望とタバサの言葉に、レイナールは思案げな顔で頷いた。

「なるほどね。こんなに早く防衛を固めたことにも、いきなり王国元帥のグラモン伯爵が出てきたのにも驚いたけど、そうか。そういうことなら納得できるな。この布陣最大の目的は防衛じゃなくて、相手の結束を揺るがすことだったんだね」

「うむ。実際、かなりの牽制になる。そうして空の上で敵軍がもたついている間に、トリステイン側はさらに防衛を固めつつ、その他の国と交渉して、上手く連携を取ることができれば――相手の本拠地が孤立した『浮遊大陸』だけに、あっさりと包囲網を作り上げることができるであろう」

 レイナールは懐からメモ帳を取り出すと、ここまでの会話内容を書き記した。そんな彼の様子を好ましげに見遣りながら、太公望は続けた。

「とはいえ、あくまでこれは机上の空論だ。もしやすると王党派がここから奇跡の大逆転を果たすかもしれぬし、レコン・キスタと貴族派の結束が想定以上に固く、包囲網を敷くのが間に合わぬ可能性もある」

「ガリアとゲルマニア、それとロマリアがどう出てくるかもわからないしね」

「そうだのう。政治や戦は生き物だ。どう動くかある程度の予測はつくが、実際のところはその時になってみるまでわからぬ。だから、わしらが今できることといえば……」

 と、そこへ同じく実家から戻ってきていたメイドのシエスタが、新しいティーセットと大きなフルーツケーキを持って現れ、テーブルの上へ静かに乗せた。

「これを切り分けて、みんなで仲良く味わうことくらいだ」

 そう言ってナイフを手にした太公望を、タバサが制した。

「わたしが切る」

「まあまあ、ここはわしに任せておけ!」

「ホールの5等分はすごく難しい」

「だからこそ、このわしが自ら公平に切り分けようと言っておるのだ」

「やっぱりわたしが切る」

「のう、タバサよ……まさかおぬし、わしのことを信用しておらぬのか?」

「あなたがいちばん小さなピースを取るというのなら、任せてもいい」

「…………」

「何故黙っているの?」

「ピースの選択順は、くじ引きで決めるというのはどうだ?」

「ナイフを寄越して」

「なんなら、じゃんけんでもかまわぬぞ?」

「デル・ウィ……」

「ま、待て! 魔法で切ろうとするでない!!」

 ふたりのやりとりを見たキュルケが、思わずぼやいた。

「ケーキひとつとってもこれだもの。それが領土となったら、モメて当然よね」


○●○●○●○●

 ――若き貴族たちが、隣国の未来とケーキの大きさを比較していたちょうどそのころ。

 ゲルマニアから王都トリスタニアへ続く街道を、風格溢れる四頭立ての馬車が、ゴトゴトと音を立てて進んでいた。その中には、トリステイン希代の宰相が静かに座していた。車内に、同乗者は存在していない。

 マザリーニ枢機卿、当年とって40歳。だが、その髪や髭はすでに深雪のように白くなり、肌には深く細かい皺が刻まれ、長く伸びた指は骨張っていた。

 そのせいで、少なくとも50代、いや60代と言っても通用するほどの老爺に見える。先帝亡き後、トリステインの内政と外交の全てを執り仕切ってきた激務の日々が、彼の姿を老人そのものに変えてしまっていたのだ。

 王座空白という、他国が付け入るのに都合のよい状態が長く続いたにも関わらず、列強と比べ、吹けば飛ぶような小国トリステインが無事でいられたのは、マザリーニの持つ優れた外交手腕と、涙ぐましいまでの内政努力によるものである。

 マザリーニは、ただひたすらに第二の祖国であるトリステインに、己の全てを捧げ尽くしていた。だが、そんな彼のいじらしいまでの献身と確かな政治能力を見てもなお、多くの貴族や民衆たちは『鳥の骨』などと枢機卿を揶揄し、嫌っている。

 先代国王即位の際に、異国ロマリアから派遣されてきた司教枢機卿であること。平民の血が混じっているなどと、まことしやかに囁かれていることなどが、宮廷の内外に、彼が意図せぬ敵を多数作り出していた。他国ならばいざ知らず、特に伝統と格式を重んじるトリステインにおいて、マザリーニの出自は逆風にしかなり得なかったのである。

 小さく揺れる馬車の中で、枢機卿はひとり思考の淵へと深く沈み込んでいた。

「やはり、これが皇帝の狙いであったか。いや、考えるまでもなかったな。だからこそ事ここに至るまで、返答を引き延ばしていたのだろうから」

 数日前。軍事防衛同盟締結に向けて首府ヴィンドボナにて行われた、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との対談中に、トリステインの将来に関する憂慮すべき懸案事項が持ち上がったが為に、彼は馬車の中でひとり静かに物思いに耽っていた。

「王室同士の血の結びつきが、両国の同盟に花を添えるなどとは、皇帝め……よくも言ったものだ。姫を娶ることで、我が国を緩やかに併合することこそが自分の狙いだと、口以上に目が語っておったわ」

 ゲルマニアがトリステインと軍事防衛同盟を結ぶにあたり、その条件として皇帝アルブレヒト三世が求めたものとは――トリステインが誇る麗しき白百合姫・アンリエッタとの婚姻であった。

 ゲルマニアの皇家は『始祖』ブリミルの血を引いていないという理由から、ハルケギニアの諸王国において、トリステイン、ガリア、アルビオンの三王家及びロマリア皇国連合よりも格下であるとされている。そのため、かの帝国を統べる皇帝は、トリステイン王家と血を通わせることによって、自らの地位と家格を高めることを強く望んでいた。

 また、トリステインの王室にはアンリエッタ姫以外に子が存在しない。そのため、彼女がゲルマニアの皇室へ嫁いだ場合、伝統ある王家の直系が途絶えてしまうことになる。そればかりか、姫君と皇帝の婚姻関係、あるいは彼らの間に生まれた子を継承者として強く前面に押し出すことで、将来的にトリステインがゲルマニアの一地方とされてしまうことは、ほぼ確実。よって、どんなに国が困窮しようとも、アンリエッタを嫁がせることなどありえない話であった――つい先日までは。

 マザリーニは、声を上げずに嗤った。

「皇帝よ、残念ながらそう上手く事は運ばぬぞ。既に我が国の『王権』は、しかるべき場所へと移動しておるのだから」

 現在、王政府の内部において、王国宰相にしてブリミル教司教枢機卿マザリーニだけが知る『王権』の在処。当然、それを所持する本人――国境守護役ラ・ヴァリエール公爵も、事の重大さを充分に理解している。

 ふたりは既に秘密裏に会談を行い、事実と意志の確認を行っている。もっとも、現時点でそれを表沙汰にして、国をふたつに割るような真似をするほど、彼らは愚かではない。

 特に、トリステイン王国の乗っ取りを企んでいるなどと、あらぬ噂を立てられているマザリーニが慎重になるのは当然だ。

 よって、彼らは表向きは今まで通り、互いに中立あるいは不仲であるよう振る舞い――だが、裏ではしっかりと手を取り合っていた。それがまた、マザリーニには嬉しかった。

 公爵ほどの大物が、色眼鏡を通して自分を見ることなく、正当に評価してくれていたことがわかったばかりではない。彼が宰相として背負い続けてきた重荷の半分を、自ら引き受けてくれようとしているのだから。

「姫殿下が仰った通り、かの『指輪』が、あのお方を変えてくださったのだ」

 トリステインで最大の権勢を誇るだけでなく、このハルケギニアで有数の大富豪にして、王位継承権第3位まで持つ大貴族でありながらも、その立場に驕ることなく、常に周囲の者たちを立て、影ながら王家を支え続けてきた、忠臣の中の忠臣。

 かつて、ラ・ヴァリエール公爵に摂政の座へ就いてもらい、アンリエッタ姫が成長して王配――婿を迎えるまでの間、共に政治の杖を振るって欲しいと匂わせたことがある。だが、その時はきっぱりと断られてしまった。マザリーニも、それ以上食い下がろうとはしなかった。目立つことを嫌い、常に控えめな公爵の人柄を鑑み、即座に諦めてしまったのだ。

 ところが、そんな人物が前へ進み出てきてくれたのだ。『王権の指輪』を手にして。しかも、国の存続がかかった一大事に、自ら立ち上がってくれた。公爵の『導きの指』で輝く『水のルビー』を目にしたそのとき。マザリーニの心は、年甲斐もなく躍った。

 ――『英雄王』などと讃えられるほどに戦の才能に恵まれていたがために、他国や内部の反乱勢力との闘争にのみ明け暮れ、国政を一切顧みることのなかった先々代国王・フィリップ三世が落とした影によって傾きかけていた国をなんとか立て直すべく、先帝ヘンリーは当時まだ20代であった若き日のマザリーニを宰相として重用した。マザリーニもまた、王の引き立てに応えるべく努力した。

 手を取り合い、共に苦難の道を歩むうち、王と宰相の間には、いつしか友情という名の固い絆が生まれていた。ふたりは、苦心惨憺して国政に立ち向かって行った。

 それから十数年後。苦労の甲斐あって、少しずつだがトリステインが上向きとなる兆しを見せ始めていたそのとき――まるで、彼らの努力を嘲笑うかのように、死に至る流行病が発生した。恐るべき病は平民も、王侯貴族たちにも分け隔て無く襲いかかり――多くの民と、善き国王をヴァルハラへと連れ去ってしまった。

 片翼を失った王国は、もう一枚の羽根によってかろうじて高度を保ちつつ、だが、静かに地面へと向けて、落ちてゆこうとしていた。そこに、新たな翼が生えてきたのだ。

 あの議会中、公爵が行った大立ち回りを見たマザリーニは、まるで志半ばで倒れた先代国王が、ヴァルハラから舞い戻ってきてくれたような錯覚に陥った。それほどまでに『指輪』によって生まれ変わった公爵の姿は、眩しかった。

 さらに公爵はマザリーニに対し、裏で密かにこう告げたのだ。

「枢機卿猊下。長きに渡り続いてきた伝統を打ち壊すという大罪を負い、末期の灰を被るのは……わたくしのような老い先短い年寄りにこそ相応しい役目だと思うのです」

 公爵が放ったこの言葉が『王国の守護者』たる枢機卿の意志を、完全に決定した。始祖に捧げる懺悔の如き言葉の中に込められた、公爵の固い決意を知ったマザリーニの心は、激しく震えた。

 ラ・ヴァリエール公爵は、国と民草を救うためならば、自らを簒奪者の立場にまで貶めても構わないと言っているのだ。何代にも渡って、王家の側近くに仕え続けてきた名家の当主がこの決断をするまで、果たしてどれほどの勇気を振り絞る必要があったのか。マザリーニは、その心情がわからぬような馬鹿者ではなかった。

 ブリミル教司教枢機卿マザリーニは、公爵の前に深く頭を垂れて宣言した。

「閣下。なんとしても、あなたさまを清い御姿のまま、王座につけてご覧にいれます。そのためならば、わたくしめはいくらでも泥を被ってみせましょう。何故なら、それこそがトリステインを混迷の内から救い出す唯一の『道』にして、希望だからです」

 ……この時から、彼らふたりは盟友となった。

 清廉潔白な人格者として国内外に知られるラ・ヴァリエール公爵にも、敵対する者が全く居ないわけではないが――いや、むしろ一切敵を作らぬよう、周囲の機嫌だけを伺いながら行動するような人物が、有能な政治家にして『王』たりえるはずがない。

 もともと、マザリーニは公爵が持つ為政者としての手腕を疑うどころか尊敬すらしていた程であるし、そういった意味でも、彼に大きな期待を寄せていた。

 マザリーニ枢機卿の胸の内では、もはやトリステインの王座は空位ではない。彼の脳裏には、そこに座る人物が――登場を待ち焦がれていた強き国王の御姿が、まざまざと浮かび上がっているのだ。

「皇帝からの申し入れは、ある意味渡りに船だ。王権を持たぬゲルマニアと誼を通じることで、強力な軍事防衛同盟を結べるばかりか『レコン・キスタ』の矛先を、ある程度分散させることにも繋がる」

 本来、王権を持たないゲルマニアは『レコン・キスタ』の攻撃目標たり得ない。かの国を攻めることは、彼らが掲げる理念に反するからだ。ところが、トリステインとゲルマニアの両国が血の絆によって結ばれ、さらに軍事防衛同盟を組むとなれば話は別だ。

 ゲルマニアは、本来不必要であった貴族連盟への防衛に戦力を回さねばならず、しかも自国領を戦火にまみえさせぬために、アルビオン大陸からの防波堤となるトリステインを死守する必要性が出てくるのだ。

 唯一人の姫君を娶った上で、トリステインを見捨てるなど論外だ。もしもそれを行った場合、ゲルマニアは国際的な評価を大きく下げるばかりか、攻め入るための口実を得て勢い付いた『レコン・キスタ』の手によって、激しい戦禍に晒されることになるだろう。

「姫を娶ることは、ゲルマニアにとって、自ら大きな危機を呼び込むことに繋がる危険な賭けなのだが、領土の拡大と地位向上に熱心な皇帝は、どうやらその事実に気が付いていないようだな。だからこそ、平然とあのような申し入れをしてきたのだろう」

 いっぽう『レコン・キスタ』の側はというと。これまではトリステインとガリアの動向にだけ気を配っていればよかった彼らは、ゲルマニアからも目が離せなくなる。

 既に、トリステイン内部に放たれている間諜――ラ・ヴァリエール公爵から、高等法院の長リッシュモンや彼の取り巻き、一部の有力な商家がその役割を果たしているという驚愕の内偵調査報告を受け取っていたマザリーニは、自身も信頼を置く密偵を各所に放ち、情報収集に奔走している。

 結果、国内で蠢いていた者どもの『目』が、外――特に、ゲルマニア周辺に向けて動き出していることを突き止めている。諜報と策動のために、より多くの人員を割くことを余儀なくされた『裏切り者』たちは、これから大変忙しいことになるだろう。

 マザリーニは、そんな者たちに同情するほどお人好しではない。いつでも不逞の輩を取り押さえることができるよう、特に有能な部下を用いて物証集めに尽力した。あとは逮捕状を用意するだけで、佞臣どもを処断することができる状態にまで準備を整え終えている。

 序盤戦である情報収集において、トリステインが貴族派連盟と帝国を完璧に抑え、イニシアティブを取れた。これは情報伝達手段が少ないハルケギニアにおいて、非常に大きい。

「王家の血を、戦禍を被る危険性の高いトリステインから、比較的安全な帝国領内へと避難させることにもなる。国同士を婚姻によって結びつけるという、実にもっともらしい理屈をつけた上で……な」

 そうしておけば、最悪トリステインが『レコン・キスタ』によって陥とされても、主家の血筋を絶やすことなく、残すことができる。この場合、トリステインが革命貴族派連盟による共同統治、あるいはゲルマニア領となってしまうことは避けられないが、どのみち国が滅亡しているのだから、血を残すことができるだけ、まだましと言えるだろう。

「しかも、内乱を起こすことなく堂々と『陛下』を王座に上らせることまで可能としてくれるとは、なんともはや素晴らしき提案だ」

 マザリーニは、頭の中で改めてトリステイン国内の現状を確認した。

 先日まで王位継承権第1位を持っていたマリアンヌ王妃については、夫の喪に服し続け、女王への即位を頑なに拒み続けている。つまり、既にその権利を放棄している状態だ。さらに、事実上の継承権第1位のアンリエッタ姫が他国へ降嫁すれば、その時点で彼女の持つ権利は完全に消え失せてしまう。

 結果、自然と王冠はラ・ヴァリエール公爵の手元に転がり込んでくるのだ。しかも、それ以降の継承順位については、特に定められていない。王室の存続を図る上では危険極まりないことではあるのだが、お陰で、公爵は誰憚ることなく王座につくことができる。

 もちろん、宮廷内外での反発が一切起きないでもないだろう。国王不在で国内が不安定な今だからこそ、甘い汁を吸えている者が大勢いるからだ。王位継承権を持つ身とはいえ、公爵が主筋ではないからと難色を示す者が、ほぼ間違いなく出てくるはずだ。

 とはいえ、唯一家柄で公爵の対抗馬たりえたモンモランシ家は、ラグドリアン湖の干拓事業に失敗したばかりか、そこに住まう水の精霊の怒りを買い、ついには交渉役の任をも解かれ、すっかり没落してしまっている。王座を争う能力など、あろうはずもない。

 ラ・ヴァリエール公爵家に次ぐ資産を誇るクルデンホルフ大公家は、豊富な資金力によってその地位まで上り詰めた、所謂『成り上がり』だ。また、当主が王家の血を引いているわけでもない。よって、家柄に関して言えば完全に位負けしている。それに名目上とはいえ、クルデンホルフは既に大公国としてトリステインから独立した国家となっているため、王の即位に関して口を挟むのは難しいだろう。

 そんなわけで、万が一クルデンホルフ大公が王位継承戦に立ったとしても、勝負は既に見えている。彼の味方につこうなどという奇特な者も、ほぼ皆無であるに等しい。

 懐の寂しい大勢の貴族たちに金を貸し付け、それによって彼らの首根っこを強引に押さえつけている『金貸し』クルデンホルフ大公は『鳥の骨』マザリーニよりも人気が無い。それどころか、憎まれているといっても過言ではないのだから。

 国軍の頂点に立つグラモン伯爵家に至っては、古くからラ・ヴァリエール公爵の盟友として通っており、既に水面下では公爵・枢機卿・伯爵の間で三者同盟が成立していた。

 このように、トリステイン国内には、単体で『御輿』となりえるような候補はいないも同然だ。そもそもラ・ヴァリエール公爵は、姫から――たとえ彼女がそれを知らなかったからとはいえ、王権の象徴たる『水のルビー』を手ずから下賜されているのだ。血筋についても王家の傍流。宗教的な見地からも、家柄の面においても、即位を反対される筋合いはない。

 とはいえ『指輪』を前面に出すのは、ロマリア宗教庁の不必要な政治介入を防がねばならないという意味合いから、あくまで最後の手段として取っておかねばならないが。

 そう……全ては、アンリエッタ姫の去就次第なのだ。ここに来て、彼女は『クイーン』ではなく、トリステイン・ゲルマニア両国における『ジョーカー』と化していたのだ。

「急いては事をし損じる。かといって、この機会を逃すわけにはいかん。なにせ、これはガリアとロマリアが未だ『レコン・キスタ』に対する声明を出していない、今だからこそ行える縁組みとも言えるからな」

 『始祖』に連なる王権を打破すると宣言している貴族派連盟『レコン・キスタ』は、本来であれば完全に異端認定されてもおかしくない存在なのだ。もしもロマリア皇国が何らかの声明を出せば、たったそれだけで彼らを内側から崩壊させることもできるだろう。それほどまでに、ブリミル教の権威は強大なのである。

 この状況下で、教皇とロマリア宗教庁は完全に沈黙を守っている。金にならぬことに余計な首を突っ込み、火の粉を浴びるような真似を避けている。あるいは、頼られるのを手ぐすね引いて待っているのだというのが、マザリーニ枢機卿の見立てであった。

 実際に少しでもロマリアが持つ権威、つまりブリミル宗教庁の手を借りた場合、以後間違いなく内政干渉を受け続けることになり、実質上、かの皇国の属国と化してしまう。そうなったが最後、民は血の最後の一滴まで絞り尽くされることになるだろう。

 それを極端に畏れるがゆえに、滅亡の危機に見舞われているアルビオン王室も、安易に彼らを頼ることができないのだ。『光の国』『喜びの野』などと敬われるかの皇国の実体は、欲と陰謀にまみれた魔窟なのだから。ロマリア出身の聖職者であるマザリーニ枢機卿には、それが痛いほど理解できた。

 残る『王権』を持つガリアはというと、内憂を払うことで手一杯という有様で、援軍を出す余裕などないという状態だ――表向きは。だが、実際のところはそれほどの脅威を受けているようには見えず、のらりくらりとトリステイン側から持ちかけた交渉を躱されているというのが実情だ。

 とはいえ『シャルル派』と呼ばれるガリアの反体制派が『レコン・キスタ』と繋がっている可能性も否定できないため、トリステインとしても兄弟国の絆を強調し、軍事的な支援を取り付けることができないでいる。援助を行うために貴重な戦力を割いてくれたガリアが、内部の反乱勢力の手によって、アルビオンの二の舞となる危険性を孕んでいるからだ。

「しかし、このような情勢だからこそ、我が国がゲルマニアと手を組むことを、状況的にも当然の流れと見せかけられる。しかも、同盟の条件である姫との婚姻は、我が方から申し入れたことではない。いやはや、実によいタイミングであったよ。皇帝『閣下』」

 枢機卿の中では、既にアンリエッタ姫の輿入れは決定事項であった。あとは、細かい条件をよく検討して、じっくりと煮詰めるだけだ。自分が認めた王と共に。彼は頑ななまでに、それが最善であると信じていた。

 ――しかし。歴史の流れは、敏腕政治家たるマザリーニが想像すらしていなかった方角から吹き始めていた<風>によって奔流となり、底深き滝壺に向かおうとしていた。


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